生きている実感の気配

外で働き始めた。
労働は楽しい。
しかし楽しみすぎてはいけない。
疲れを感じられなくなったら、働きすぎて、また倒れてしまうから。

 

元気は嬉しい。
当たり前ではない幸せだ。
当たり前でありたい幸せだ。

信念

へたりへたりと生きていることを申し訳なく思う。

それすら迷惑をかける考えだとわかっているけれど。

 

元気じゃなくたっていのちで、
元気じゃなくたってわたしだ。

 

元気じゃないあなただって愛しいけれど、
元気じゃないわたしを、愛してとは言えない。

 

思いと行動は必ずしも合わない。
それが正しい。自然。

 

思われたいとしても、縛れない。
そんな幸福は恐ろしい。

 

わたしは愛することをやめられないから、どうか、その思いだけは失わないように。
何もできないからといって、諦めないように。

 

どうやって生きていこうね。
綱渡りが終わらないや。

足りていると思っている

安心できる関係が好きです
安定している関係が好きです

 

あなたはわたしの誰ですか

 

わたしはあなたの誰ですか

 

早く落ち着きたい
ここに居ていいよと言ってほしい


いま以上の幸福を
求めることの愚かさを
ひしひしと感じているのです


失ってまでも
得たいものなどないのです

 

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愛に終わりは来ない

複雑な感情を持たず
ただ深い愛だけで
抱きしめあえる
関係性の
幸福

 

寂しいよって言ったら
当たり前だよって言った

 

君も寂しいのって聞いたら
まあねって笑った

 

君に幸せでいてほしい
と思う気持ちは海のよう
穏やかな深さと恐れ

 

わたしもまた
君の海に抱かれる
小さな
小さな命

 

これ以上に幸福になる
なんて

恐いな

 

当たり前だよって君は言う

君は言う

女性専用車両と産婦人科の待合室は似ている

女性専用車両に適応できない。

わたしは外見も内面も「女性」だと思われていて、それに適応して生きている。
けれど、「わたしは女性だ」とはあまり思えない。
生物学的に女性であることは自認している。
しかし社会学的な性別観念が、そもそもわたしには乏しい。
だから、性同一性障害のひとほどの違和感はないけれど、女性である認識も強くはないのだ。

だから女性専用車両に適応できない。

女性専用車両を選んで乗る女性は、社会学的に女性であることを自認しているのだろう。
女性専用車両を避けて乗る男性は、社会学的に男性であることを自認しているのだろう。

わたしは、女性専用車両に乗ることも、避けることもうまく選べずに、それでもいずれかの車両に乗り込む。

女性じゃないのにごめんよと思いながら、女性専用車両に乗る。
女性なのにごめんよと思いながら、普通車両に乗る。

誰も気にしていないような気がして、気にしているのは自分なのだと気づいて、それでもなお。

会いたいひとがいるこわさ

ミサイルとはなんぞや。

TVを観ないものだから、LINEのニュースページで知った。
北朝鮮が発射したミサイル。
知ってしまうとこわい。
そして、好きなひとに会いたくなった。
このひとが好きなんだ、と思った。

電話をかける。
声を聞く。

話をする。
笑いあう。

電話を切る。
また、こわくなる。

正常な症状だ。
身体が震えて、涙が出る。

なるべく、なるべく、安心したい。

世界は終わりに向かっているのかな。
続く世界で会いたいよ。

ひとりで眠る夜。
眠るのがこわい夜。

淡い青いプロローグ

どうにか、本を愛することに人生を使いたい。
人生に理由はないけど、目的は設定したのだ。

おそろしいほど身体が動かない。
今は匂いにむせながら、米を炊いている。
炊飯器より、鍋で炊くほうが断然おいしい。
身体を大事にするためには、おいしい食事が不可欠だ。

いまはこんな、ひとのいないところで、つらつらと書いているけれど、本のことをちゃんと書いたら、読んでもらえるかなあ。
「プロブロガー」って、早口言葉みたい。
3回は言えるけど、5回は言えない。

本を読んで、本について書いて、生きていけるだろうか。

ガスの火は青くて、きれいで、眠くなる。

ダークブルーな気持ち

自分の元恋人であるひとに、恋をしているらしい女の子のTwitterや写真を見て、気持ち悪くなるこの現象はなんだろうか。でも見る。

じぇらしーなのかしら。
ううむ。

どちらにしても体調が悪いので、げーげー言いながら横になるしかないわけで。

願望を作るにはエネルギーが必要だ。
わたしにはそのエネルギーが圧倒的に足りない。

それでも生きている。
だらりと。

どうしましょうねえ。

生きるには少しだけ足りないいのちだ。

必要なのは愛ではなくお金と健康。
悲しいにんげんよのう。

司書になりたいと思っている気がします。
道のりは長い。
スタート地点すら遠い。

よくここまで

本当に愛されているとき、これが愛だとわかる。


14歳から通い続けた病院を今日やめた。
通い続けたといっても、調子がいいから通わない、ような時期もあったけれど。

仕事をやめて、月に一度通うようになった。
けれど、今の家からは遠くて。
熱が出てどうしても動けないために、知人に頼んで、代わりに薬を受け取りにいってもらうこともあった。

もうそんな迷惑のかけ方は嫌だから、今日やめた。

紹介状を書いてもらって、近くの病院に移る。


先生は50代後半くらいの女性で、10年間変わらずわたしを見ていてくれたひと。

「今日で終わりかあ、寂しいね」ってまじまじとわたしの顔を見つめる。

「あなたはほんとうに、よくここまで……ね」
感慨を込めて笑ってくれる。

よくここまで、生き抜いた。
よくここまで、がんばった。
よくここまで、元気になった。
よくここまで、大人になった。

じゃあね、って、両手を差し出してくれる。
わたしも両手を差し出して、握手する。

先生はわたしを好きだ。愛している。
そうわかる、先生のすべて。

わたしは先生をあまり知らない。
だから、愛しているとは言えない。わからない。
けれど、愛されていることはちゃんとわかるんだ。


ちゃんとわかることが、この世界にあって、よかった。

誰も聞きたくない話

「他人の夢の話なんて誰も聞きたくない」ということをよく聞くようになったのは最近。
昔からあったのかなあ。流行?

わたしにとっては、夢も現実と同じ重さ。
むしろ夢のなかのほうが、感情的で「現実味」がある。
五感があるから、痛いし、苦しい。
愛情は津波のように押し寄せる。


夢と現実の違いって、なんだろう。

現実からさめたい。
もっと「現実味」のある世界に生きたい。

わたしには現実が夢のよう。


好きなひとの夢の話を聞くの、わたしは好きだなあ。

命の裾を掴むような

亡くなったひと、について調べる癖がある。
積極的にではないけれど。

 

好きなミュージシャンの知人が亡くなったと知って、
そこから亡くなったそのひとの記録を遡った。

 

顔の写った写真があった。
声の入った映像があった。

 

ああ、このひとは死んだのか、と思う。
名前も知らなかった。
けれど、生きていたと記されている。
そして、死んだと。

 

満足はせず、不足もせず、閉じる。
若いひとだった。

 


雨宮まみさんが亡くなったとき、
彼女のSNSアカウントや彼女の書いた文章はどうなるのだろうと思った。

彼女と親交のあるひとたちが思いを吐き出しているのを、画面越しに眺めていた。

 

彼女の名前は消えない。

名前なんて、個人なんて、死んでは無意味なのだろうな。

 


動物の死によく出会う。
猫や鳥を運び、埋める。

 

先日、駅に向かう道で鳩が死んでいた。

車に轢かれたのだろう。
残っていたのは2つの翼だけだった。
胴体は誰が持っていったのだろう。

 

ああ、と思った。
意味はなく、それだけ。

 

駅に着くと、電車は遅れていた。
わたしは生きているようだな。

伝えたいのは

会話が苦手だ。

相手に興味があっても、自分に興味を持ってもらいたくても、それを会話で成立させるのが難しい。

手を繋いだり、頭をなでたり、抱き合ったり。

それでわかるのにな、って思う。

簡単のようで、でも実際には難しくて、言葉を探す。


好きって言わなくても、好きって伝わってるんじゃないかな。

そんなの自惚れなのかな。

わたしだって、何度も何度も言われてやっと信頼する。


伝えたいのは、近況や愚痴や相談じゃなくて、ただ、好きだよ、大事だよ、ってこと。


伝わるように伝えたい。

生産

体調を崩して無職になって半年。

働かずにいると、取り込むことばかりで、エネルギーが滞ってきた。

けれど、まだ体調は不安定で外で働く責任は持てないから、在宅でできる仕事をやってみる。

少しでも生産するのだ。

 

言葉も、生産する。

なにかにならなくてもいい。それが生きるということだものね。

しっかり道を踏みしめて、生きていく。