命の裾を掴むような

亡くなったひと、について調べる癖がある。
積極的にではないけれど。

 

好きなミュージシャンの知人が亡くなったと知って、
そこから亡くなったそのひとの記録を遡った。

 

顔の写った写真があった。
声の入った映像があった。

 

ああ、このひとは死んだのか、と思う。
名前も知らなかった。
けれど、生きていたと記されている。
そして、死んだと。

 

満足はせず、不足もせず、閉じる。
若いひとだった。

 


雨宮まみさんが亡くなったとき、
彼女のSNSアカウントや彼女の書いた文章はどうなるのだろうと思った。

彼女と親交のあるひとたちが思いを吐き出しているのを、画面越しに眺めていた。

 

彼女の名前は消えない。

名前なんて、個人なんて、死んでは無意味なのだろうな。

 


動物の死によく出会う。
猫や鳥を運び、埋める。

 

先日、駅に向かう道で鳩が死んでいた。

車に轢かれたのだろう。
残っていたのは2つの翼だけだった。
胴体は誰が持っていったのだろう。

 

ああ、と思った。
意味はなく、それだけ。

 

駅に着くと、電車は遅れていた。
わたしは生きているようだな。